障害の重い学齢前幼児の指導と効果

                              

 

1 はじめに

 筆者は、今回2名の幼児を指導する機会を与えていただき、短時間ながらほぼ毎日指導をした。その結果約4ヶ月間で明瞭な効果が得られたので報告するとともに、障害の重い子どもたちの早期教育の重要性について考えたい。

 

2 指導した幼児と指導期間

(1)対象児

 事例1 Aちゃん 4歳

 事例2 Hちゃん 3歳

(2)指導期間と指導時間

 平成10年10月平成11年1月  ほぼ毎日 週5時間程度

 

3 指導と効果

《事例1》 

(1)Aちゃんの実態(平10. 10月)

 診断名 脳室周囲白軟化症 脳性麻痺 水頭症 てんかん
 【遠城寺式乳幼児分析的発達検査



移動運動 手の運動 基本的習慣 対人関係 発 語 言語理解
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 ・気道にかなりの量の痰が常時たまっており、ゼロゼロという喘鳴が著しい。

 ・呼吸が極めて速く(120回/分)浅く、とても苦しそうに見えた。

 ・食事のときむせることが多かった。

 ・動作は少なく、伸展側に全身の筋緊張が強かった。


(2)指導目標

 ・呼吸するだけで精一杯の状態は、本人の毎日をつらいものにしているだけでなく、発達の面でも極めて問題があると思われたので、指導目標は呼吸の改善を最優先にした。具体的には、力強くせき込めること、異常に速く浅い呼吸がゆったりとして深いものになることを期待した。


(3)指導内容

 ・せき込みを誘発するために、姿勢の変換、背中のタッピング、胸郭の形をわずかにひずませるなどで痰の詰まった気道に刺激が生じるような働きかけをした。

 ・呼吸の異常な速さの原因に全身の強い筋緊張が考えられたので、筋緊張の緩和を目指した指導をした。具体的には次のようなやり方で毎回行った。全身の体性感覚に係わる感覚器をくまなく刺激する。具体的には触覚、圧覚、固有覚刺激などを全身で行うようにする。特に固有覚刺激を重視し、かつその刺激の与え方の工夫をする(「体操」)。


(4)変容・指導効果(平11. 1月)

 ・痰の詰まりが軽減し喘鳴が減少するとともに、力強くせき込めるようになって痰の排出がスムーズにできるようになってきた。

 ・異常なほど速い呼吸が落ち着き(36回/分程度)、ゆったりとした深い呼吸をするようになってとても楽そうになった。

 ・食事のときのむせが少なくなり、摂食量が多くなった。

 ・筋緊張が緩和すると同時に、下肢を屈伸させたり上肢を多様に動かすなど、動作の幅が広がった。
 ・発声が多くなり、人恋しいときは大きな声を出して呼ぶようになった。

 

《事例2》 

(1)Hちゃんの実態(平10. 10月)

 診断名 脳性麻痺 精神発達遅滞 小頭症 てんかん
 【遠城寺式乳幼児分析的発達検査



移動運動 手の運動 基本的習慣 対人関係 発 語 言語理解
0:3 0:0 0:0 0:3 0:4 0:1


 ・全身に筋緊張が強く、体幹の屈曲と伸展の動きがときどき見られるものの、下肢や上肢はいつも堅くしていた。

 ・機嫌が悪いことが多く、よく泣いていた。また普段無表情で笑顔がほとんど見られなかった。

 ・食事の際には口を固く閉じ、哺乳反射で舌を動かしているが食べたものはほとんど口から押し出されていた。 


(2)指導目標

 ・筋緊張の強さが本児の基本的な問題と感じられたので、その緩和と動作の拡大を目標とした。

 ・笑顔あふれる楽しい毎日を過ごせることを目標とした。

 ・摂食機能の拡大を目標とした。


(3)指導方法

 ・筋緊張の緩和のために、事例1に記した「体操」を毎回行った。

 ・無表情で笑顔が少ないことの理由として、筋緊張のつらさの他に、優しく可愛がってもらう機会が少ないためではないかと想像して次のような接し方をした。ゆったりした抑揚のある語りかけ(マザリーズ 母親語)や歌の多用、抱っこ、抱きしめ、愛撫などの身体の触れ合い。


(4)変容・指導効果(平11. 1月)

 ・筋緊張が明瞭に緩和し、動作の力強さと幅が広がって、上肢を動かして手で顔をなでたり、頭上につってあるビニールボールを腕で打って遊ぶようになった。

 ・抱っこして歌を歌うと嬉しそうに笑うようになった。日常的に笑うことが目立って多くなり幼児らしくなった。

 ・摂食機能の発達が始まった。哺乳反射が低減して口をやや開けるようになり、食べられる量が明らかに増えた。

 

4 考察

(1)乳幼児がする学習

 哺乳類以外の動物の多くでは、行動のほとんどは本能によって決められている。しかし哺乳類では、本能のほかに、生後の学習が行動を大きく方向付けする。これがどういうことかをコンピューターに当てはめてみると、前者ではアプリケーションソフトに関連するデータが最初から備わり、後者ではデータの一部を学習によって後から取得するようなことではないかと思う。前者の利点は、苦労して覚えなくても決められた行動を最初から正確にできることであり、欠点は、行動を場に応じて変えられないことである。後者の利点は、周囲の環境に合う多様で柔軟な行動様式を自ら構築できることであり、欠点は、学習の体験と時間を要することである。

 哺乳類の中でもヒトは、大脳新皮質の顕著な増大に伴い、生後の学習によって膨大な量のデータを獲得しないと「人間」になれなくなった動物である。ヒトは生まれたままでは全く生活力を持たない生命体にすぎない。

 ヒトは極めて早い時期から学習を開始する。赤ん坊は、生まれた直後目が見えない。視覚は生後から6歳ぐらいまでの間に形成されるとされ、片目の目隠しをしておくとその目が見えなくなってしまうという(文献1)。これは光刺激を受けないと視覚の経路が脳で正しく形成されないためであるが、これも原初的な学習の一つと言える。

 浅学のため述べるのが憚られるが、筆者は運動に関して次のような想像をしている。乳児は、原始反射に支配されながら、体を活発に動かそうとする。それによって幼児は次のことをしていると思われる。一つは、触覚、圧覚、固有覚など体性感覚の感覚器を自ら刺激して、体中に分布しているこれらのセンサーの情報を集めている。さらにそれらを複合させることで自分の身体像を形成していく。また運動したときの情報をパターン化して蓄積していく。多くの動物では運動の情報は本能として初めから脳内に組み込まれているため、生後すぐに歩いたり走ったりできるが、ヒトでは運動に関しても極めて基本的なことから学習が必要だと考えられる。


(2)早期の学習と障害

 このように一般に乳幼児は、出生直後あるいはそれ以前から、段階を追って膨大な量の学習を自分でしている。ところが脳に様々な障害があると、行うべき学習が著しく制限されることになる。運動に関わる領域に障害があれば、体を動かすことが困難になる。すると自分の身体各部にくまなく散らばっている体性感覚器からの情報が得られない。そのため自分の身体像が正しくつかめない。

 運動の学習をしようとすることは本能に備わった重要なプログラムと思われ、それが阻害されると二次的な問題が生じてくることが想像できる。障害のために、動きたいけれど思うように動けないと、刺激を得るために特定筋のみを日常的に緊張させ、それがさらに体に様々な悪影響を及ぼすのではないだろうか。

 筆者は今回2名の幼児を継続的に4か月指導した。2名の幼児は障害が異なっていても同じように体を棒のように突っ張る緊張に苦しんでいたが、それが改善され、さらに呼吸の問題の改善や明るい笑顔の回復、摂食機能の発達などにつながっていった。筆者が主として行ったことは「体操」だったが、その意義は、上のようなことと関係があるのではないかと想像している。


(3)重度障害を持った子どもの早期教育の必要性

 「脳と心」(文献2)には驚くべき事実がいろいろ書かれている。19歳のAさんは左脳がすっぽりないのに全く健常である。2歳のS君は重度の水頭症で大脳皮質は前頭葉の一部しか残っていないのに、目が見え、走り、笑い、歌に合わせて踊り、甘えてくる。それは、残された脳の組織が、失われた脳の機能の肩代わりをしているためである。S君は生まれた直後石のように体を硬くし、医師から生きていくことすら困難と言われた。しかし両親はあきらめず朝から夜まで体をマッサージし続け、ハイハイや高バイなどの運動を繰り返しし続けさせた結果、S君の脳に奇跡が起きたのだという。

 脳のニューロンは一度破壊されたら新しく作られることはない。そのことが悲観を生んでしまい、現場の我々もCT像から判断される脳の状態を医師などから聞かされると、希望を持てなくなってしまったりするものである。しかし脳の可塑性は想像を絶するものであると、これらの事実は物語っている。ニューロンの数が絶対の問題なのではなく、またそれぞれのニューロンが先天的に役割を担っているわけでもなく、それらが樹状突起でつながって、情報処理のためのネットワークを正しく多様に形成できるかが重要なのである。

 脳の可塑性は年齢とともにどう変化するか。ある程度歳をとってからの脳損傷は、一般に治りにくいものであるという。脳に著しい欠損を持ちながら全く健常である人たちの共通点は、それが生まれつきか極めて早い時期のものである。一般に脳の重さは3歳まで急激に増え、5歳で大人に近くなる。一方ニューロンをつなぐシナプスの数は1歳から5,6歳までは大人の倍くらいある(文献2)。この時期が人間として一番ものを覚える時期であり、その後使わなかったシナプスがなくなっていくという経過をたどる。したがって学齢に達する以前のこの時期こそは、その可塑性のために極めて大事な時期である。

 生後すぐから乳幼児は基本的な点で様々な学習をして「人間」になってくる。その学習の多くは本来自分でしているものであるが、障害のためにそれが不可能な子どもの場合は、援助の有無が大きな意味を持つと思われる。

 

5 おわりに

 学齢前幼児をときどきあやしたり遊んであげることはこれまでにもあったが、今回のようにきちんとプログラムを組んで継続的に指導したことは筆者にとって初めての経験だった。

 結果として、短期間で比較的目に見える効果が表れたことに筆者自身が驚いている。継続的な観察を続けないと正確な判断はできないが、幼児の持つ可塑性を実感したという気分である。鉄は熱いうちに打ての言葉がぴったりのような気がする。

 カオスと言うべき乳幼児期の体験は、将来のパーソナリティを大きく左右する。重度の障害児もきっと同じに違いない。障害があるからといってずっとそのまま寝かされているとしたら・・・・。全国のそういう子どもを想像して、無性にいたたまれない気持ちが湧いてきた。

 

6 参考文献

文献1:「脳ってすごい!」       オーンスタインほか           草思社 1993

文献2:「脳と心5 秘められた復元力」 NHK取材班            NHK出版 1994