Q&A(要約に代えて)

Q1  結局何が言いたいの?
Q2  対象となる人は?
Q3  それ以外の人は対象外?
Q4  効果は?
Q5  どんな考え方?
Q6  どんな方法?
Q7  どれくらいの力を加えるの?
Q8  理学療法?
Q9  ××法などとどこが違うの?
Q10 なぜ体操という言葉を使っているの?
Q11 音楽は使うの?
Q12 これだけしていればいいの?
Q13 今後の課題

A1 結局何が言いたいの?
 重度の肢体不自由のある人に対して、身体を動かしてあげることが、どんなに大切かを指摘したいのです。
 特に乳幼児の時期は最も重大な意味を持つと考えています。
 
 生まれてきたお子さんに重度の障害がある場合、多くのご両親は相当なショックを受け、またどうしてよいか分からず困惑すると思います。抱き上げても反応の少ない子どもにどう接したらよいのか。腫れ物に触るようにしなければ危険ではないか、と考えて、そっと寝かせたままにしておくことが多いのではないでしょうか。

 医師の指示に従い、また熱心な人は自分で探して、訓練士のところで訓練を受けるかもしれません。訓練は週12回が普通です。しかし、週12回でよいのでしょうか?

 MOは毎日体を動かしてあげることが非常に重要だと考えます。
 
 MOはいろいろ試行錯誤してみましたが、ひとまずここで述べることに行き着きました。方法は比較的簡単で、誰でも自分の身体でしていることです。
 簡単ということはかなり重要なことだと思います。
 ××法、○○法、というと特別の知識や技術が必要で、保護者で毎日お子さんにできる方は少ないと思います。肢体不自由を持った子どもは自分で動けないために動かしてもらわねばなりませんが、特に生後の乳幼児期において毎日それをしてあげられるのは保護者をおいて他にありません。簡単であればそれができます。
 もちろん××法、○○法を否定しているのではありません。MOはそこまで物知りではありません。それらとは別に、心とからだ作りのための基本中の基本として、毎日体を動かす、動かしてあげることがいかに大切かを考えるのです。


A2 対象となる人は
 このホームページでは4人の事例をあげています。その人たちとのかかわりの中で考えつきました。
 
 4人に共通していることは、いずれも痙直性の筋緊張が強く、寝返ることができず、頻繁に反り返る傾向を持ち、あるいはいつも体を固くこわばらせてつらそうな様子でした。

 年齢はそれぞれ、3歳、4歳、10歳、40歳でした。

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A3 それ以外の人は対象外?
 まだ考えがまとまりませんが、そんなことはないとMOは想像しています。なぜなら人間は誰でも体を動かそうとするものであり、それはそれが必要だからだと思います。

 運動不足が万病の元であることは周知の事実です。

 したがって体を動かそうとしてもそれが著しく困難な人には、動かしてあげる必要があると考えます。
 そもそもほとんどの人がラジオ体操のようなことを自分でしているではないですか。


A4 効果は?
 事例にあげた4人に共通しているのは痙直性の筋緊張が強いことでしたが、いずれも全身的に緊張が緩和しました。

さらに
 3歳のHちゃんは、笑顔が頻繁に見られるようになり、また手を使って遊ぶようになりました。
 4歳のAちゃんは120回/分もの異常なほど早く浅い呼吸が改善し、36回/分になりました。
 10歳のTくんは経官栄養で注入栄養量が全く変わっていないにもかかわらず、体重の増加が始まりました。
 40歳のTさんは呼吸の改善、発汗の減少などがあり、また楽に食事ができるようになり、MOに「体操」の効果を教えてくれました。

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A5 どんな考え方?
 2つのことを仮定して考えを進めました。
 
 1つ目の仮定は、体を自由に操るための機能は生まれつき備わっているものではない。それは生後の学習によって獲得され、かつ、その一連の学習を進めていくためのプログラムが本能的に備わっている、ということにしました。

 生後の赤ちゃんは盛んに体を動かします。それが体を自在に操れるようになるための大切な学習だとすれば、障害によって体が動かない子どもはその学習ができないことになります。その場合はいつまでたっても体を動かす機能を獲得することができません。

 つまり、体を動かせない子の場合、神経系の障害によって機構的に動かしにくい部分もあるにしても、学習ができなかったために動かせないという部分がかなり大きいのではないかと考えられます。

 また、本能による学習の指令が出続け、それが暗礁に乗り上げることを想像します。すると体をいつも同じように緊張させたり突っ張らせたりする姿がイメージに重なってきます。

 特定の筋肉だけをいつもアンバランスに緊張させていると、いわゆる「こり」なども生じるかもしれません。「こり」は不快感を生み、さらに緊張を高めるという悪循環が考えられないでしょうか。そのようにして発生する二次的な問題に苦しんでいる人たちもかなりいると思えます。 
 
 2つ目の仮定は、「気持ちのよい」ことは、脳が要求していること、ということにしました。

 快感の中枢はなんのためにあるのか? それは人間の行動を必要な方向へ向けるための大変重要な司令塔ではないかと考えます。どんな人もそれぞれの「気持ちよいこと」を求めて行動しているのです。
 腰をひねったりしたときとても気持ちよく感じますが、それは脳が、腰をひねることが必要だと本能的に教えているのだと思えます。


A6 どんな方法?
 マッサージ、指圧、揉み、ストレッチをしてあげるのです。それをできるだけ全身にしてあげるのです。
 そのとき重視しているのは、こどもが気持ちがよい、びっくりしたり少し痛いかもしれないが耐えられる、ところまで力を加えることだと考えています。
 また同じ刺激を長めに持続させます。

 あまりの痛さに子どもが泣くようなやり方は、ここでは極力避けます
 スポーツマンがハードトレーニングをする場合、自分の体を痛めつけるといっても、それはせいぜい我慢できる痛さまでのことです。他動的に動かすときは、本来その人が自分で動かすところをその人に代わって動かしてあげる、という気持ちが絶対に必要だと思います。
 泣くほど痛いことなぞ本人なら絶対しないでしょう?!

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A7 どれくらいの力を加えるの?
 これは上で述べたことでおわかりかと思います。本人の表情こそがすべてを物語ります。場合によってはわずかの力、場合によってはかなりの力が必要になります。

 同僚がある所でマッサージを受けたら、上からのしかかられてすごい力で押されたと語っていました。それが気持ちよかったそうです。

 実際やってみますと、かなり力がいります。対象となる人の体が大きい場合は、女性では無理かな?と思うこともあるほどです。強い筋肉が配置されている腰周辺のストレッチや、背中、肩、首筋などの指圧は本当にたいへんです。


A8 理学療法?
 重度の肢体不自由のある方に対し、これは主として学習の援助として考えているのです。障害のため一人では困難な学習を、手助けしてあげるのです。
 
 ここでは体の変形や拘縮の予防ということについては触れていません。体操の効果として当然それは大きく関係してくることですが、あくまで学習の援助という観点で考察しているのでそれを省いているのです。

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A9 ××法などとどこが違うの?
 最も異なるのは、上記の2つの仮定のもとに考えを進めたことです。
 また、学習の援助という位置づけによる、極めて早期の障害児教育の一つの考えと方法をイメージできた点だと思っています。
 
 あらゆる刺激を駆使することになるので、場面的には、ストレッチ、マッサージ、指圧、××法、○○法、と映るかもしれません。技法的に使えるものはなんでも使ってしまいます。


A10 なぜ体操という言葉を使っているの
 方法はこれといって特別とも思えません。「ラジオ体操」や「みんなの体操」と似たようなものでしょう。だからなんとなく「体操」としているのですが、実は「情操」という言葉に対して、「体操」を使っています。情を操るに対して体を操るです。誰が操るかは、もちろん子ども本人です。そうなっていって欲しいという願いを込めてです。

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A11 音楽は使うの?
 音楽は使いません。(BGMはあっても一向にかまわないと思いますが)

 体操には音楽が付き物となっています。なんのためでしょう?それはみんなで一斉に同じ動きをするのに便利だからです。しかしこれがじゃまになるときがあります。音楽に合わせなければいけないからです。

 障害児向けの××体操、○○体操など音楽がとてもすてきなものがあります。でも、音楽に合わせて一定の動かし方を決めたものは、子どもがそのときどんな表情をしてもメニューにしたがって次々と進まねばなりません。

 MOの「体操」では子どもの表情が優先です。表情がもっともっとと言っているときは、長時間同じ姿勢を続けるのです。

 ちなみにMOは、本当に心がこもった楽しげな語りかけこそが、その場にふさわしい最も素晴らしい音楽だと思っています。

A12 これだけしていればいいの?
 具体的な方法として画像入りで紹介してある内容は、刺激の注入のみです。これは一方的に刺激を与えるだけで、「こり」などの二次的な問題を改善したり、正しいボデイイメージを獲得させたりするには効果的だと思いますが、子どもが自分から動けるようになるためには、自分で体を動かそうと努力することを援助する必要があると思います。

 今、Hちゃんは体幹を盛んにのけぞらしたり屈曲させたりしています。MOはそれがしやすいように自分の膝に乗せ、Hちゃんが自分で起きあがろうとするときにわずかに手助けしています。

 Aちゃんは腰をわずかにひねってあげると上体に力を入れて寝返ろうとしますので、それを繰り返しさせています。

 40歳を過ぎたTさんは自由に操れるのは瞼の開閉だけでしたが、顎による口の開閉、舌の操作、口唇の操作などを言葉の指示だけで現在練習しており、驚くほど効果が上がっています。

重度肢体不自由者Tさん(43歳)の口腔周辺の運動機能の向上をめざした指導

 そのように子どもがどこを動かそうとしているか、また介助者からみてどこを動かしてほしいかを判断し、その動きを引き出して繰り返し練習させることが必要ではないかと考えています。


A13 今後の課題は
 関係するたくさんの人に読んでいただき批判していただいて、また、できればやっていただいてこれがどこまで妥当性があるか知りたいです。
 MOは田舎の養護学校の一介の教員にすぎません。勉強もしていません。そのような人間が思い込みで書いたことに重みがあろうとは客観的に見て自分でも思っていません。

 しかし、病院にいる私の知る人たちはベッドでいつも同じ姿勢で寝かされており、意思表示ができる人だけ、いつも出入りしている部外者の私に「体操して!!」と訴えてくるのです。

 体操をしてあげると実に穏やかな表情になることが多く、みんな体を動かしたくって仕方ないんだ、と感じるのです。

 でも世話をすべき人たちにそのような認識は必ずしもなく、一部の熱心な人だけが自分の時間の合間に動かしてあげているという現状です。

 特に乳幼児でそのような状況にある子どもは職業柄見ていることができなくて、太っ腹の婦長さんに頼み込んで遊ばせてもらったのですが、そんな中から自分の考えがまとまり始めました。日本全国あるいは世界中に、動きたいのに動けなくて苦しんでいる子どもたちがどのくらいいるんだろう、と考えてしまいました。

 もしここで述べたアイディアに多少の意味があれば、さらに進ませる必要があると思います。しかしMOにこれ以上の力はありません。インターネット上に書いてしまった理由はそのへんにあります。 

 なにか良いアイディアがあったら教えて下さい。
 また、どうぞご自分で発展させてみて下さい。

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